私の空き家ストーリー | Story.01

暮らしも仕事も地域の中で、と築100年超の古民家へ
空き家と移住希望者をつなぎ、農村の自然と農業を守る

鶴巻耕介さんは2014年、神戸市北区淡河町の古民家へ移り住みました。以前から携わっていた淡河地域のまちづくり活動に、自らも地域に根を下ろしてかかわりたいと考えたからでした。現在は、兼業農家として農村地域での創業や就農のサポートに関わり、農村定住促進コーディネーターとして活動しています。とはいえ、代々その地で暮らしてきた人から古民家を譲り受けるのは容易なことではありません。なぜ円滑に移り住むことができたのかを探るため、古民家の元所有者である上野晃さんに加わっていただき、お話を伺いました。

鶴巻耕介さん

鶴巻耕介さん

1984年生まれ。2015年につるまき農園として独立し、現在は兼業農家として農村地域の移住、創業、就農などに関わる。

上野晃さん

上野晃さん

1939年生まれ。淡河町出身で、現在は三木市在住。長年に渡り教員として務めていた。

地域の人とともに地域づくりに携わりたい、と移住を決断

鶴巻 東京の出身で、一人暮らしをしたいという単純な思いで兵庫県の大学に進学しました。卒業後は教育関連の会社に就職し、宮城県で働いていた時に、郡部の教室で子どもたちに覚悟を持って教えている先生の姿や、地域の豊かな食の素材に触れ、里山、農村地域で暮らし、仕事をすることに興味を持ちました。
その後、学生時代にかかわっていたNPOに転職し、兵庫県(西宮)に戻ってきました。ある時、北区淡河町の地域団体の活動に触れるきっかけがあり、自分もまちづくりや地域活性にかかわってみたいと強く思うようになりました。2、3年通い続けるうちに、この人たちと仕事を作ったり、関わったりできるのではないかと思うようになり、淡河への移住を決めました。2013年、30歳になる直前のことです。とはいえ、不動産のサイトにも情報は一切出ておらず、知り合いを伝ってまずは土地に詳しい地域内送迎バスの運転手さんの助手席に乗って、10数軒の空き家をいっぺんに案内していただきました。つてを頼って持ち主の連絡先を聞き出して当たってみたのですが警戒されるばかりでした。半年ほどしてその運転手さんを通じて上野さんのご自宅を紹介してもらい、上野さんにつないでいただくことができました。

所有者に会って話をする難しさを語る鶴巻さん

「この人なら大切な土地を任せられると思いました」

上野 この家は明治末期に私の祖父が建てた家で、戦後間もない頃、私が6歳の時にこの家に住み始めました。父が田畑を大事にする姿を見て、農作業を手伝いながら育ちました。大人になってからは、仕事の関係で三木市に移り住みました。子どもたちに聞いたところ、この家を継ぐことは難しいかもしれないとのことでしたが、ご先祖さんの血の通った土地ですから、長男としてこの土地を守っていこうという思いでいました。週末は淡河の家に戻り、家の手入れをしたり、地域の清掃活動に参加していました。ただ、定年退職前後に体調を崩し、体力的にこの先もこの家を管理し続けていくのは難しいなと感じるようになり、どうしようかなと考えていた矢先、鶴巻さんと出会ったんです。

鶴巻 家の外観も非常に素敵でしたし、この家に住みたいなとすぐに思いました。上野さんにお会いして私の思いを伝えたところ、非常に前向きに考えていただきました。

上野 鶴巻さんは東京の出身ながら農村地域のあり方や考え方をよく調べられていたし、とても熱意があることを知りました。何度かお会いするうちにこの人であれば家をお任せしてもよいなと思いました。集落にすっと溶け込んでもらうには、引き継ぐ側の人が集落の人としっかりつながっておくことが大事なことやと思います。どなたが入ってこられてもあの人の紹介ならと安心して受け入れてもらうことができますし、つながりも引き継ぐことができます。

鶴巻さんが思わず一目ぼれした外観
茅葺の屋根を守るため上からトタンを貼っている部分も
終始和やかな雰囲気で話していたお二人
信頼関係が垣間見える瞬間も

大切に住みながら次の世代へとつないでいきたい

鶴巻 最初は賃貸という形で住まわせていただきました。まず上野さんの案内で集落の方にあいさつ回りをさせていただき、すぐに消防団に入りました。かねてより、地域の若い世代の方とつながることができる消防団には入りたいと思っていたんです。月に1回の消防団の点検活動や年末警戒、年に1回のクリーン作戦(地域の草刈り)など地域活動にも参加しています。時に地域のルールがわからなかったり私の未熟さにより、注意を受けたこともありましたが、徐々に地域に馴染んでいきました。
母屋には田の字状に4つの部屋があって土間と台所があります。後から建てた離れがあり、作業場と倉庫もあります。上野さんは定期的に風を入れ替えるなどきれいに維持してくださっていたので、大きなリノベーションは必要ありませんでした。一部、台所の床が柔らかくなっていたためフローリングに張り替えた程度です。都会のマンションを借りて住むのとは違うので、例えば先述のような床の軋みや機械の故障のような各修繕については、上野さんに「直してください」というのではなく、基本的には自分で直したり交換して使わせていただきますということをあらかじめお伝えしました。
100年もの間大切に守られてきた資産です。私はたまたま今の時代に住まわせてもらっていますが、大切に住みながら次世代につないでいきたいと思っています。居心地が良いので、ここでなるべく仕事をして、打ち合わせもできるような空間づくりをしています。
約6年間住んでから2021年に購入しました。田畑を購入するに際しては農業に従事した時間などが問われる農家資格が必要です。一部駐車場として転用する予定もあり、農地法の関係で手続きが複雑で、現在も進行中ですが、もう少しで完了する予定です。

上野 手離す時はつらかったですね。仏さんに拝んで、ご先祖さんに申し訳なかったということを伝えました。

田畑を見ながら仕事ができるワークデスク。右上のエアコンはご自身で付けたもの
開放感のある居間は打合せスペースにも
落ち着きのある台所の床も張り替え済

芽生えた「農村を守っていきたい」という気持ち

鶴巻 購入後は、庭にあった樹木の管理が大変だったのでいったんほとんど抜いて、桜の木を1本植えました。古い家の維持には予想以上にお金がかかります。茅葺の屋根を守るため上からトタンを貼っていただいているので、茅葺自体の入れ替えはしないでよいのですが、トタンがだんだんとさびてきているので、塗り直さなければいけません。塗り直しに70万円ほどかかるとのことで、少し先延ばしにしている状態です。
淡河に来た当初は、地域のいろんな人たちと関わりながら、ここで暮らしと仕事が完結できたらいいなというぼんやりとしたイメージを持っていました。はじめは、農村定住促進コーディネーターの仕事を地域からいただいたり、地元の茅葺職人さんやパン屋さんのもとで現場仕事や飲食の仕事をさせてもらいながら少しずつ収入を増やしていきました。同時並行で農業も小さく試行錯誤していきました。
現在は、農村地域での創業支援プログラムである神戸農村スタートアッププログラムや、兼業農家を育成するMICRO FAREMERS SCHOOLなどに関わっています。こうした仕事を通じて、農村で暮らすために必要な空き家、仕事づくり、就農などの入口づくりを仲間たちと協力して取り組んでいます。また家の離れについては少し手を入れ、昨年から民泊として開放しています。
淡河に移住する前は、農家さんや職人さんのような独立して生活する姿に憧れ、自分もそうなりたいと思っていたのですが農業の担い手がどんどんと減っていくのを目の当たりにし、ここに暮らし、農業をする人たちがいて、新規就農者や地域で活動してくれる人を呼び込みながら地域を守ることの重要性をより強く感じるようになりました。
農村地域に移住を希望する人には、この貴重な農業生産環境を守っていくための役割を理解するとともに、地域活動に積極的に参加する意識を持っていただければありがたいなと思っています。北区の里山地域だけでも年間8〜10世帯の方が移住してこられ、皆さんすっかり地域になじんで生活を続けておられます。空き家が出ればすぐに移住者が決まる状態で、空き家の需要は高いものの、実際に提供できる物件が少ないのが課題です。
今関わらせてもらっている仕事がいつまで続くか分かりませんが、農村地域が持続可能な場所になれるよう、自分ができることを少しずつ進めていきたいと思っています。

上野 鶴巻さんのような若く、農村を守っていこうとする思いのある方に引き継いでいけることはとても心強いことです。

民泊として開放している離れ
大阪から夏休みを過ごしに来る家族も多いとか
鶴巻さんが家を購入されたときに植えた桜の木